4/4、脚本家の橋田壽賀子さんが95歳でお亡くなりになりました。
今回は橋田さんを偲ぶとともに、彼女の代表作にして、日本ドラマ界の至宝とも言える
「渡る世間は鬼ばかり」の魅力について語りたいと思います。
「おしん」などヒット作を連発 「赤いシリーズ」にも執筆を
橋田さんは戦後まもなく松竹に入社。その後、フリーの脚本家として
大河ドラマ「おんな太閤記」「春日局」、朝ドラ「おしん」など
数多くのドラマを作り出してきました。
ちょっと調べてみてわかったのですが、
1970年代にヒットした「赤いシリーズ」の一つ「赤い疑惑」にも執筆されていました。
全29話のうち、15話「秘密を知った娘・幸子」、16話「限りある人間よ祈ろう」
の2本が橋田さんの手によるものです。
不慮の事故で白血病になったヒロインの幸子(山口百恵)。
周囲の人間は、彼女の病名をひた隠しにするのですが、
あるきっかけで幸子は自分の病を知ってしまう・・というかなり重要な2回でした。
「赤い疑惑」はリアルタイムで全部観ていたので、
橋田先生が執筆されていた事実を知って、胸熱でした。
※この頃は「~ありゃしない」「~法はない」など
橋田さんらしいセリフはありませんでしたが・・・ww
「渡鬼」は橋田イズムの粋を集めた、究極のホームドラマ
やはり橋田さんの代表作と言えば、「渡る世間は鬼ばかり」(以下、渡鬼)でしょう。
1990年から2019年まで、連続ドラマ10シリーズにスペシャルを合わせると、
実に500話を超える大長寿ドラマです。
私は3月の中頃、たまたまParaviに加入したのですが、
番組リストを見ていた時に「渡鬼」を見つけ、
「懐かしいな~」と第1シリーズの初回から視聴していました。
で、第4シリーズの途中まで観た頃に、
橋田先生の訃報を知ったわけです。
「渡鬼」は、岡倉大吉(藤岡琢也)、節子(山岡久乃)の夫婦と、
弥生(長山藍子)、五月(泉ピン子)、文子(中田喜子)、葉子(野村真美)、長子(藤田朋子)
の5人姉妹、さらにその子供や孫たちの日々の暮らしを描くホームドラマ。
特に、大きな事件が起きるわけでもなく、
嫁と姑、小姑とのもめ事や子供たちの教育問題、夫の転職、単身赴任など、
ごく普通の家庭に起こりうる日常のエピソードが連綿と続いていきます。
「よくもまぁ、普通のエピソードの連続で、こんな長尺のドラマを作れるなぁ」
と感心してしまうほどです。
ちなみに橋田先生は「殺人と不倫は書かない」と明言されていましたが、
「渡鬼」では、文子の夫・亨(三田村邦彦)が会社の若い女性と関係を持ったり、
五月の小姑・邦子(東てる美)が妻のいる男性と付き合ったりと、
「不倫がまったく出てこない」わけではありません。
ただし、不倫は決して物語のメインになっておらず、濃厚なラブシーンもナシ。
そこは、「家族みんなで観られるホームドラマ」作家としての
橋田先生の矜持と言えるかもしれません。
画面を観てなくてもわかる!? ラジオドラマ的なテレビドラマ
さて、この「渡鬼」、ずっと視聴していてわかったのですが、
「ながら視聴」に非常に向いているコンテンツなんですよね。
橋田先生は、
「主婦が家事をしながらでも、セリフを聞くだけでストーリーがわかるように」
という意図で、あえてセリフの量を多くしているのだそうです。
発想としては「ラジオドラマと一緒」なんだとか。なるほど・・・
考えてみれば、緻密な設定やストーリーを持ったミステリー作品だと、
一瞬でも画面から目を離すと、重要な伏線を見落としてしまう
・・・なんてことも少なくありません。
その点、「渡鬼」は、画面を観ていなくても膨大なセリフを聞いているお陰で、
まずストーリーを見失うことはありません。
実際、仕事の原稿を書いたり、ブログを書いたり、帳簿をつけたりと
他のことをしながらでも観られるドラマです。
こんなドラマの作り方をしているのは、橋田先生くらいでしょう。
本編に登場する長子だって、翻訳の仕事をしながら「渡鬼」を観られそう。Ww
それと、ツッコミどころが満載なところもいいですね。
鬼の姑のキミ(赤木春恵)は毎回五月に嫌がらせを繰り返すのですが、
ある時、ふとしたきっかけで改心して「五月はいい嫁だ」と絶賛するわけです。
特に各シリーズの最終回が近づくと、「キミが急に改心して良い姑になる」
という件は、シリーズを通じての”お約束”と言ってもいいでしょう。
また、中華料理屋の幸楽で働く周ちゃん(岡本信人)は、第3シリーズの時、
「いつかは幸楽から独立して自分の店を持ちたい」と何度も言っていましたが、
後のシリーズになった時、「俺は今まで独立したいと思ったことはないよ」
なんて、しれっと言っちゃうのです。
観ている我々は「前に言ってたことと違うやん?」とツッコミたくなります。
このように「同じ登場人物なのに、過去と現在で言動が一致していない」
という描写は、実は「渡鬼」の中では結構よく出てきます。
これは橋田先生が過去の設定を忘れたのか? それとも確信犯的にやっているのか?
・・・私は後者だと思います。
そもそも人は、その時その時で考えや主張が変わってしまうもの。
もともと「独立したい」と思っていた周ちゃんも、いろいろな紆余曲折があって
今は「独立せず、一生幸楽に身を捧げよう」と心が変わったのでしょう。
幸楽に対する忠誠心の強さゆえに、かつて自分が「独立したい」と言った事実すら
彼の中ではなかったことになってしまっているのです。
このように、記憶の書き換えというものは、日常の中で普通に行われていること。
それをドラマの中で忠実に描き出すとは、さすが橋田先生。
ヘタに整合性や辻褄を合わせるよりも、リアリティーがあると思います。
まとめ
「渡鬼」の魅力について、まだまだ語りつくせませんが、
一度見始めると止まらなくなってしまう、非常に中毒性の高いドラマです。
Paraviで全話観られるので、興味のある方はぜひ!
残念ながら橋田先生はもういませんが、
若い脚本家の方が受け継いで、また新作を作ってほしいものです。